漢字教育士ひろりんの書斎漢字の書架
2018.4.    掲載

 磁石と磁器

 磁石・磁気・磁力・電磁波など、「磁」という字は物理学の分野でよく使われているが、一方で、磁力を持たず磁石にもくっつかない焼き物なのに、「磁器」と呼ばれるものが存在する。これはなぜか、「磁」という字はもともと何を意味したのか、気になったので調べてみた。
 なお、英語でも、磁石(magnet)とマグネシウム(magnesium)という、「関係ないけど似た言葉」があることに気が付いて、調べてみた。こちらについては姉妹編「マグネットとマグネシウム」をご覧いただきたい。

 まずは説文解字で「磁」を調べてみる。しかし、大徐本にも段注本にも掲載されていない。字統にも説文解字からの引用はないので、後漢の時代にはまだなかった字かもしれないと思いながら、次に康煕字典で調べると、なんと説文解字からの引用文が載っている。以前からの疑問だが、康煕字典は説文解字のどのテキストを引用しているのだろう(拙稿「本という字の謎」参照)。
 ともあれ、その引用文は、「石名可以引鍼」(石の名、以て(はり)を引くべし)とあるので、磁石の意味が本義であったようだ。
 さらにウェブや図書館で調べると、いろいろなことがわかってきた。
 大漢和辞典によると、〔本草、慈石〕に次の記載がある。
    釋名、蔵器曰、慈石取鐵、如慈母之招子、故名。
 磁石(ここでは「慈石」)が鉄を引きつけるのは、やさしい母親が子を招くようだ、よって「慈」の字を使う、ということだろう。
 また康煕字典の「慈」の項が引く《郭璞慈石贊》に「慈石吸鐵,母子相戀也。俗作磁,非。」とあるのも同趣旨である。「俗作磁,非。」とあるのは、この頃(郭璞は3~4世紀の人)には磁の字も使われていたということであろう。
 ただしこのような語源説について、白川静氏は「俗説であろう」と斬り捨てている(字統「磁」の項)。
 さらに古い例として、戦国時代の「呂氏春秋」に、次の記載があることを知った。1)
    慈石(じせき)(てつ)(まね)く、これを引く或るなり。 (季秋紀第九 精通)
 この文の前後には母子の関係は触れられていないが、「精通」全体を見ると、父母と子の親密さを述べている。かなり古い時代から、磁石の作用が親子関係になぞらえられていることが分かる。
 文字そのものについては、大漢和辞典の引く正字通や康煕字典の引く正韻によると、先に述べた「慈」に石偏がつき「isihenji.png(635 byte)」となり、心が省略されて「磁」となったようである。2)

 では「磁器」の方はどうだろうか。ウィキペディアによると、
磁器(じき、Porcelain)とは、高温で焼成されて吸水性がなく、叩いた時に金属音を発する陶磁器を一般に指す。しかし西洋などでは陶器と区別されないことが多く、両者の間には必ずしも厳密な境界が存在するわけではない。
とのことである。しかし、名の由来については書かれていない。
 その道の専門書である「原色陶器大辞典」を見ると、次の記述があった(「磁器」の項)。
漢字の磁器の語は瓷器の俗字で、『五雑爼』に「今俗語に窯器を謂ひて磁器となすは蓋し河南磁州窯最も多く産するによりて相沿ひて之を名く」とある。
 「瓷」という字は初めて見たが、同辞典に「瓷器」という項目もあり、「説文に瓦器也」とある。しかしこの字は説文解字大徐本の「新附字」(編者の徐鉉(宋代)が追加したもの)に含まれるもので、許慎の原典にあったものではない。『五雑爼』は明代に書かれた随筆で、原題は「五雑組」であるという(ウィキペディア)。
 この辞典により「磁州窯」というキーワードが見つかったので、検索してみると多量の記事が見つかる。その一つ、「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」によると、
中国,河北省磁県彭城鎮にある陶窯,またそこで産する陶器。起源は六朝時代にさかのぼると伝えられるが,最盛期は宋,元代で遺品も豊富に残る。以後,民間用雑器を生産して現在まで続く。
とのことである。3)
 磁州窯の名は、「磁州」という地名(現在は磁県)からきていることが確認できた。「五雑組」にあるとおり、ここで焼き物が盛んに製作されたため、焼き物全般の名として「磁器」が使われるようになったのであろう。ちょうど日本で、愛知県の瀬戸で焼かれたものでなくても、焼き物全般を「瀬戸物」と言うようになったのと同様である。4)
 また、「磁」と「瓷」が同音であったことも、「磁器」が使われるようになった一つの要因と考えられる。5) すなわち、以前から焼き物のことを「瓷器」と言っていたが、磁州窯が有名になるとともに、「瓷」を「磁」に置き換えるケースが増えて行ったものであろう。
 さて、それでは、「磁州」はなぜこの地名になったのか。これについては、州を設置した際の公的記録が「隋書」に残っている。
開皇十年(590年)置慈州,大業初州廢。臨水有慈石山、鼓山、sannzuikama.png(591 byte)山。
          隋書 卷三十志第二十五 地理中、「中國哲學書電子化計劃(ウェブサイト)」より
 つまり「慈石山」という山の名にちなんで慈州と名付けられたようである。さらに調べると、中国のウェブサイト「360百科」の「慈州」の項に引く「元和郡県志」(唐代の地理書)に、「以sannzuikama.png(591 byte)陽県西九十里有isihenji.png(635 byte)山,出isihenji.png(635 byte)石,因取為名」とあるのが見つかった。つまり、磁石を産出するのでisihenji.png(635 byte)山や慈石山と呼ばれた山があり、これが州の名となったわけである。
 ちなみに、同百科「磁州」の項によると、州の名は、隋代は「慈州」、唐代は「isihenji.png(635 byte)州」、宋代に「磁州」と改められたとのことである。

 以上を簡略な概念図にまとめると、次のとおりである。ただし時代区分については大まかな目安を示す。

jisyakumosikizu.png(30704 byte)

 
 磁石と磁器、どちらの磁が先か、これで決着がついた。


注1)「商・夏の会」会員の井藤敬三様のご教示による。     戻る

注2)現代の学者の中にも、自然磁石をいう場合に「慈石」の語を使う人もいる。電気・磁気の父とも言われる16世紀の物理学者、ウィリアム・ギルバートの主著"De Magnete"を翻訳した教育学者の板倉聖宣氏は、文中に「慈石」という語を多用し、「本書でいうmagnesは今日のような人工磁石ではないので、それと区別するつもりで慈石としたのである」「慈石とは『自分のかけら(や鉄)を二つの極で慈しむ石』の意である」と述べている(「磁石(および電気)論」 仮説社、1978年。「商・夏の会」会員の井藤敬三様のご教示による)。     戻る

注3)先に引用した『五雑爼』では、「河南磁州窯」となっているが、現在の資料ではいずれも「河北省」であり、地図でも河北省邯鄲市の中にある。中国語のウェブサイト「維基文庫」に「五雑爼」の全文があり、巻12「物部四」で当該箇所を確認すると、やはり「河南」とされているので、おそらく「五雑組」原本に河南と書かれていると思われる。     戻る

注4)先に引用したとおり、磁器と陶器の別についてはっきりした定義はない。また、日本と中国で分類の仕方も違うようである。磁州窯で作られた焼き物は陶器が主体だったようだが、磁器という言葉が一般には硬質のものを指すようになった理由については、調査対象外とさせていただく。     戻る

注5)康煕字典が引く「正韻」等の韻書を見ると、「慈」・「磁」・「瓷」とも「才資切」とされ、慈は「音磁」、磁と瓷は「音慈」とされている。     戻る



参考・引用資料

説文解字  後漢・許慎撰、100年:大徐本 徐鉉 等校定、汲古閣(出版年不明)北宋本校刊:早稲田大学学術情報検索システムより

説文解字注  清・段玉裁注、1815年:影印本第4次印刷 浙江古籍出版社 2010年

新訂字統  普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年

康煕字典(内府本)  清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年

大漢和辞典  修訂版 諸橋轍次著、大修館書店 1986年

呂氏春秋(季秋紀第九 精通) 呂不韋編 BC239年:塚本哲三編、有朋堂書店 1923年:国立国会図書館デジタルコレクションより

原色陶器大辞典 加藤唐九郎編、淡交社 1972年

文中記載のウェブサイト